きっと発達障害の子を育てる親は「普通」とは何か?ということを考えた時間が一度はあるのではないでしょうか?
天ちゃんが自閉スペクトラム症の診断を受けた時、「普通」というものについて考えました。
何歳で何が出来ることが「普通」で、出来ないことや出来すぎる事が「普通」ではないのか。
その後、自分が診断を受けた時、また「普通」というものについて考えました。
自分のどんなところが他の人と違って「普通」では無いのかと。
そして思いました。
「普通」とは、なんて曖昧で不確かなものだろうって。
私が思う「普通」と、自分以外の人の「普通」はきっと違います。
だから、多様性を認め合う社会であるならば、「みんな違って、みんな良い」なのです。
みんなお互いを認め合って、助け合って、自分らしく生きよう!
「普通」とは何なのか?
「普通」とは何なのか?
辞書的な意味はこちら。
辞書的な意味も踏まえて、私の考えでは
「誰もが、あたりまえと認識しているであろうルールや価値観に、それぞれの人の考えや価値観や習慣がプラスされたものなのではないか?」
という考えに行き着きました。
例えば、私の経験だと、結婚して夫と一緒に暮らし始めた頃、些細なことでケンカになる事がありました。
それは、生活習慣の中で、自分の「普通」と夫の「普通」に違うところがあったからだと思います。
そんな事から考えても、「普通」というのは、実はとても曖昧で、人によって考え方、感じ方、やり方の違うものなのではないでしょうか。
だとしたら「普通」なんて有るようで無いものなのかもしれません。
だから、発達障害の人は「普通と違う」と言われる事が多いけれど、誰かの「普通」に惑わされたり、無理して合わせたりするのではなく、自分の「普通」を生きていいと思うのです。
他の人と違うことを気にしすぎなくてもいいと。
もちろん、公の場でのルールやマナーは守らないといけないし、ある程度の協調性は必要で、それが難しいこともあるかもしれませんが。
(そのために現代の療育が大事ですね!)
他の誰かとではなく、過去の本人と今の本人を比べる
天ちゃんの事も、天ちゃんのありのままを受け入れ、支援し、他の誰かと比べるのはやめました。
以前観た障害児育児をしている母親のドキュメンタリー番組で、療育の先生が「他の子と比べるのではなく、過去の本人と比べることが大事」だと教えてくれたと言っていました。
私は、この言葉にハッとしたことを覚えています。
確かに、天ちゃんのこれまでを思うと、とてもとてもゆっくりだけど、凄く凄く成長したことが分かります。だから、他の誰かではなく、以前の天ちゃんと比べるということに納得しました。
そして、天ちゃんを育てる中で「普通」とは何か?の壁にぶつかっていた私が、この言葉に救われたのです。
それでも、どうしても学校の参観日に行くと他の子が目に入り、比べてしまって気持ちが塞ぐ事があります。だけど天ちゃんは天ちゃんなりに学校でめちゃくちゃ頑張っているのが分かります。
その頑張りを認めて褒める事が何より大事で、それに気づき褒められるようになることが、母親である私自身の成長でもあると思うようになりました。
みんな違ってみんないい
誰かと何かと比べるときに何気なく使ってしまう「普通」という言葉。
だけど、誰かの「普通」ではなく、自分の「普通」を軸に、自分と違う「普通」の存在も認めながら、自分らしく生きる。
それがこれからの時代の多様性を大事にする社会だと思うのです。
私は、障害を持って生まれたからこそ、天ちゃんには「多様性」を教えたいと考えています。
それは、天ちゃんの自肯定感アップにも繋がるはずだからです。
誰にでも得意・不得意はあり、だからこそ助け合える、補い合える。
大事なことは「みんな違って、みんないい」なのです。
障害の有無に関わらず、みんな違って、みんないいの精神で生きられたら、社会はもっと優しくなれるのではないでしょうか。
私は天ちゃんが大人になった時、そんな優しい社会だったらいいなと切に願います。
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