[経験談] 発達障害|1歳で違和感、5歳で診断された長男の発達の記録 

発達凸凹育児のあれこれ
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長男が発達障害(自閉スペクトラム症)と診断されたのは、5歳のとき。

けれど、初めての子育てにも関わらず、1歳頃にはすでに「この子はほかの子とは少し違う」と感じていました。

自治体の1歳半検診、3歳児検診ではいずれも引っ掛かり、「やっぱり」と、心の中で自分の違和感が確信に変わっていきました。

そこからは、育児だけでなく、家事も仕事も両立しながら発達障害について学ぶ日々。

今もなお、育児・家事・仕事・勉強を行き来しながら、試行錯誤は続いています。


現在小学生の長男は、自閉スペクトラム症と境界知能をあわせ持つアトピーっ子。

生きづらさを抱えながらも、懸命に、そして楽しく、ときに癇癪を起こしながら毎日を過ごしています。

ダンス、工作、お絵描きが大好きで、自閉っ子特有の“飛び跳ね”が日課。

おかげで我が家のトランポリンは長男の誕生以来、すでに3台目です(笑)

障害児の親になってから、私の見える世界は大きく変わりました。

障害のある子を理解し、支えることは簡単ではありません。

同時に、その親を支え、理解する環境も必要だと強く感じます。

私もこれまで、多くの人に支えられて生きてきました。

だからこそ、学んだことや経験を活かして、今度は誰かを支える側になりたい。

そう思い、福祉施設で支援員として働き始めました。

これは、そんな我が家の長男が誕生し、自閉スペクトラム症と診断を受け、小学生になるまでの物語です。

不妊治療に踏み切ろうか悩んだ過去

長男が私のもとに生まれたのは、結婚して7年目のことでした。

20代後半で結婚した当初は、「しばらくは夫と2人の生活を満喫しよう」と思っていました。

そのうち自然に子宝に恵まれるだろうと、漠然と信じていたのです。

しかし――。

お盆やお正月、親類が集まるたびに、親戚の子どもの数は増え、お年玉の出費もどんどん増えていきました。

一方で、私たち夫婦には子どもがいない。

お年玉はもらうばかりで、相手に気を遣わせてしまい、肩身の狭い思いをするようになっていきました。

「どうして私は子どもに恵まれないんだろう?」

悩み、苦しみ、泣いて過ごす日々。

不妊症かもしれない、検査を受けようか、でも費用が…と、本気で悩みました。

そんな時、夫が突然「帯状疱疹」を発症。

しかも運悪く耳の中にできて神経に影響し、顔面麻痺・味覚異常・視覚異常まで引き起こしました。

そこで、鍼灸師の従兄弟が「発症から早い段階で治療を始めれば、鍼灸で改善できる」と教えてくれたのです。

従兄弟は遠方に住んでいたため、知り合いの鍼灸師の先生を紹介してくれました。

夫の治療をきっかけに鍼灸に興味を持った私は、ネットで調べたり本を読んだりしていくうちに、不妊にも効果があることを知りました。

そこで従兄弟にも相談し、自分の体を整えるためにツボ押しやセルフお灸を始めました。

その効果だったのか、はたまた別の理由だったのか――真相は神のみぞ知る。

それでも、私は待望の長男を授かることができたのです。

自閉スペクトラム症の長男誕生!!

不妊に悩み苦しみ泣いて暮らした私のもとにやってきた長男。

生まれた当初は、いわゆる普通の子と思っていました。

成長するなかで、徐々に「あれ?!」と思うことが出始めました。


【とにかくクルクル回るものが好き♡】
回せるものは何でも回して遊んでいました。

散歩に行くと理髪店の赤と青のクルクルをずーっと眺めていて、帰ろうとすると抱っこ紐の中から猛抗議。

毎日なにか回るものを求めてくるので、1歳の時の散歩で横を走る車のタイヤを見て!と勧めたほど(笑)

小学生になっても未だに気になっているのは、エアコンの室外機。

登校途中に、「あの室外機は回ってない、ココのは回ってる」と確認しながら学校へ。

でも、なぜかお店などの大きな室外機は怖いらしく、動いているのかを気にしながら小走りで前を通り過ぎる謎の行動があります。


【バイバイは手のひらを自分に向けて】

祖父母が遊びに来て帰る時、バイバイと手を降ってくれると振り返すところまではよし。
ただ、手のひらを自分に向けてバイバイしていました。

まだ幼い子だから間違えて覚えたか?可愛いからいいや!と思っていたら…

実は自閉っ子あるあるでした。


【こだわり行動】
1歳頃、散歩中に抱っこ紐の中から「ん!ん!!」と指差して主張。

何を指しているのか分からず先に進もうとすると、抗議が始まります。

毎日の繰り返しで分かった答えは「門」。

左右に開閉する扉が気になるようでした。

小学生になった今も、自動ドアは「自分が出て振り返り、閉まるまで見届ける」のがこだわり。

電車や新幹線も好きですが、特に電車好きなのは乗降口やホームドアが左右開閉で「扉がいっぱい」だから。

電車内では基本ドア横が定位置。

聴覚過敏で大きな音は苦手ですが、聴覚記憶が良く、電車のアナウンスは完璧に再現。

電車ごっこでは、アナウンスだけ異様にリアルです(笑)。


そんな「あれ?!」が増えてきたころ、自治体の1歳半健診で「心理検査を受けてみませんか?」とお誘いが。

「やっぱり他の子と違うよね〜」と答え合わせをしたような気持ちで予約したものの、「まだ1歳半だし、もう少し様子を見てもいいかも」と思いキャンセル。

そして月日が過ぎ、3歳児健診で再び心理検査のお誘いが——

さすがに今度は予約日に相談に行き、自治体の療育機関への通所がスタートしたのでした。

発達検査、不可能!

1歳半から保育園に入園。

卒園までの間、長男はお友達とほとんど関わることなく、一人遊びが中心でした。

たまに「お友達と遊んでる?」と思う時は、相手が声をかけてくれた時か、勝手に仲間に入って遊んでいるつもりになっている時。

自治体の施設で療育を始めると、発達心理士の先生が発達検査を試みてくれました。

……が、長男は検査中でも先生の話の途中でも、頭に浮かんだことをペラペラと話したり、検査道具で遊び始めたりして、まったく検査にならず。

私も先生も、ただただ頭を抱えるばかり。

結局、直接の検査は諦め、母親である私が質問に答える別方式の検査に変更。

その結果、「長男を理解してくれる環境を持つためにも、療育機関に通うのが良い」とアドバイスされ、児童発達支援事業所への通所が決まりました。

とはいえ——。

診断書がないと受給者証の申請はできません。

そこで、病院探しと、障害児利用支援計画書を作ってくれる相談事業所探しが始まったのです。

自閉スペクトラム症の診断、そして療育スタート!!

自治体の療育施設や福祉課からは、いろいろな病院や施設の情報をもらいました。

でも、何もかも初めてで、分からないことだらけ。不安もいっぱい。

そんな時に頼りにしたのは、自分より先に発達障害児を育ててきた先輩ママ。

その方がお願いしている相談支援事業所と病院を紹介してくれ、問い合わせたところ、受け付けてもらえることに。

紹介先は大学病院。

理解のある先生で、紹介状がなくても事情を伝えると受け入れてくださいました。

ただ、予約から検査までは2か月以上待つことに。

通う児童発達支援事業所は、最初からほぼ決まっていました。

理由はシンプル。自宅から徒歩5分の距離にあったからです。

見学してみると空きもあり、すぐに決定。

そして迎えた大学病院での検査。

今回はなんとか検査が成立。ちなみに方法は田中ビネー。

結果は——「自閉スペクトラム症」、そしてIQ80の境界知能。

5歳0か月での検査でしたが、基底年齢は3歳。4歳レベルの問題は全く解けませんでした。

自閉スペクトラム症の可能性は、すでに情報を集めていて予想できていました。

それよりも「境界知能」という言葉を受け止めるのに、時間がかかりました。

指差しは苦手な一方で、発語は早く、絵本も大好き。言葉をよく覚え、ペラペラと話しました。

療育を嫌がることはなく、むしろ保育園を嫌がり、登園拒否で暴れるようになったほど。

「療育施設だけに行きたい!」というのが長男の本音でした。

療育施設は、自分のことを理解して接してくれる場所と本能的に理解したのだと思います。

自閉っ子の現在

長男は今、小学生。

自治体の市立小学校で、支援学級に通っています。

発語は早く、言葉をよく覚えるタイプ。

文字にも興味を持ち、自己流の書き順ながら年長の頃にはひらがなを書くことができました。

そのため、小学校入学前には「通常学級でもいけるのでは?」と何度も悩みました。

でも、IQ80という「境界知能」であることも考え、最終的に支援学級を選択。

そして今——

その判断は間違っていなかったと心から思っています。

もし通常学級を選んでいたら、きっと学校生活そのものが立ち行かなくなっていたはず。

実際、支援学級に通っていても、一時期は学校に行けないほど追い詰められたことがありました。

理由のひとつは、長男の特性である「ルールは絶対に守らなければならない」という思い込み。

クラスでお友達がおしゃべりをして先生の話を聞かない場面——つまり「ルール違反」を目にすると、どうしても我慢できず強いストレスを感じてしまいます。

もうひとつは、自分がうっかりして注意される機会が、保育園時代よりも増えたこと。

もともと「怒られること」が大の苦手な長男にとって、これも大きなストレスでした。

こうして毎日、スイッチを切り替えて学校で全力で頑張り続ける生活は、とても消耗します。

やがて「もう学校には行きたくない」という気持ちが、彼の心を支配してしまいました。

数日休んでいると、支援学級の担任の先生が家まで訪ねてくださいました。

そして、長男とじっくり話をしてくださり、そのおかげで再び学校へ行くことができました。

この「数日不登校 → 先生が訪問 → 登校再開」というパターンは、1年生の時にも、2年生の時にもありました。

小学校に入ってからは、長男の得意なことと苦手なこと、そして強くストレスを感じる場面が、はっきりと見えるようになってきました。

・長男の学校生活と失敗の繰り返しで成長を綴った記事はコチラ👇
✂️成功には「繰り返し」と「失敗」が大事


まとめ:発達障害の子を育てる親として思うこと

まとめ:発達障害の子を育てる親として思うこと

最近、SNSなどで「障害児の育児は大変!」という投稿をよく目にします。

そこで始まるのは「健常児と障害児、どちらの育児が大変か」論争。

長男(障害児)と次男(健常児)を育てている私が思うのは――どちらも大変。

ただし、大変さの“種類”が違うだけです。

障害の種類によっても、また違った大変さがあります。

だからこそ、比べても意味はないし、比べること自体がナンセンスだと思います。


障害児の親が欲しいのは、憐れみではなく「理解」と「支援」。

例えば、長男は感覚過敏で、公衆トイレのハンドドライヤーの音を怖がり、一人で男性トイレに入れません。

小学生になった今、私と二人の時には男性トイレに付き添えないため、多目的トイレが命綱です。

多目的トイレは誰でも使えますが、必要としている人に譲っていただけると本当に助かります。

そういう小さなことから、理解と支援は始まるのではないでしょうか。


また、障害児を育てる親には支え合う仲間が必要です。

私は幸い、先輩ママに出会えたり、自分自身もADHDがあることで福祉サービスを利用し、理解やアドバイスをもらうことができました。

世の中には一人で頑張っている親御さんも多いと思います。

ぜひ仲間を見つけ、相談できる環境を作ってほしいと願っています。

私は一度も長男が「普通の子だったら」とは思ったことがありません。

もちろん生きやすさを思えばそう感じる瞬間はありますし、健常児の友達と比べてしまうこともあります。

それでも、長男が障害を持って生まれたことを嘆いたことはありません。

「子育ては親育て」という言葉の通り、長男に親にしてもらい、次男とともに育てながら私自身も成長しています。

たくさんの支援者や理解者に囲まれ、試行錯誤しながら過ごせていることに感謝です。

障害児育児は大変ですが、一生に一度、私にしかできない子育て。

いつか子どもたちが社会でしっかり自立できるよう、今できることを後悔のないように全力で。

世の中の障害児を育てるママさん、パパさん。

あなたは、よく頑張っています。

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