祖父母が教えてくれたこと ─ memento mori(メメント・モリ)「死を想え」─

春の草原の丘の上にある大樹へと続く一本道 こころの気づきノート
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何気なく日々を過ごしていると、考えることのない生と死。
だけど人は、生まれた瞬間から死に向かって生きています。

私の推しであるMr.Childrenの歌のタイトルで知った言葉。

memento mori(メメント・モリ)=死を想え

目の前の日々の出来事に必死で忘れてしまうけれど、「人はいつか死ぬ」そのことを忘れずに今を大切に生きろという、ラテン語の警鐘の言葉だそうです。


先日、私の祖父が旅立ちました。
コロナ明けで仕事復帰し、忙しい毎日が戻ったばかりの時に突然届いた訃報。
驚きと悲しみでこころが追いつかない日々を過ごしました。

私の両親は共働きで、幼い頃からずっと同居の祖父母と過ごす時間が多かった私は、おじいちゃん・おばあちゃん大好きっ子。

大好きな祖母は3年前に亡くなりました。
そして、今度は祖父が旅立ちました。

祖父母との別れの体験を通して感じた、私の新たな気付きがありました。

それは「人の一生の儚さ」そして、「儚いがゆえに、心のままに自分らしく生きよう」という想いです。

少し重いテーマではありますが、最後までお付き合い頂けると嬉しいです。

大好きだった祖母の旅立ちが教えてくれたこと

私は、両親が共働きだったため、同居の祖父母と過ごす時間が多い子でした。
特に専業主婦だった祖母は「お母さん代わり」で、生まれてから大学進学で家を出るまでの18年を共に暮らしました。


梅干しや味噌作りなど、季節の仕込みものが好きなのは、祖母の影響だと思います。
日々の手仕事の楽しさや暮らしの中の工夫など、生きるために必要なことを教えてくれたのが祖母でした。

大正13年生まれの祖母は、98歳で3年前(令和4年)に旅立ちました。

祖母の別れは、思いがけないタイミングで訪れました。

大好きだった祖母との別れを受け入れるには時間がかかりました。
とにかく、「もういないのだ」ということを受け入れるだけで必死でした。

私が「祖母が教えてくれたこと」の記憶を辿りながら、心に誓ったこと。

祖母のように強く、優しく、そしてゆったりとした心持ちで日々を味わいながら生きよう

ということ。

祖母が旅立ったあの日から、迷った時、苦しくなった時、空を見上げ、心の中の祖母に話しかけながら暮らしています。

「ばあちゃんならこんな時どうする?なんて言うかな?」と。

祖父との別れで感じた新たな想い


祖父は、幼い頃から私の面倒をよく見てくれました。

田舎の山間部で暮らしていた私は、時間帯によってはバスが無いことも。
始業式・終業式などで学校が早く終わると、両親の代わりに祖父が途中のバス停まで迎えに来てくれました。

私が幼い頃から、長年10年日記を付けていた祖父。
その日記帳の月ごとの区切りで童謡が載っているページがありました。

私はその童謡のページを見るのが好きで、分からない歌を祖父に尋ねると歌ってくれました。
祖父が好きな歌を尋ねると、よく童謡「ふるさと」を歌ってくれた事を今も覚えています。

私が日記を書くということを覚えたのは、祖父の影響だと思います。

そんな祖父との別れも、やはり突然でした。

祖母の時と同じく、仕事中の両親からの電話で祖父の旅立ちを知りました。
不思議なことに祖母と同じ98歳での旅立ちでした。
私は、お彼岸の終わりの急な別れだったので、祖母がそろそろ・・・と声を掛けたような気がしています。

祖父の火葬が終わった帰りの車の中で、母がポツリとつぶやきました。

「人間なんて儚いものね」

不思議なことに、私も同じタイミングで、同じことを思っていました。こういうところが親子だからなのかもしれませんね。

亡くなって、火葬され、骨だけになってしまったら、消えてなくなってしまったように感じる。

3年前の祖母の時にはそんなこと感じませんでした。
あの時は、ついに来た祖母との別れに悲しみで胸が塞がれ、その余裕がなかったのでしょう。

「人の一生は儚い」

祖父は確かに98年という、人間としては長生きで大往生と言われる歳まで生きました。
戦争時代を出征しても生き抜き、戦後の復興期に必死に働いて家族を養い、孫の私を見守り、老後は自分の好きなことを楽しみました。

祖父が生きた証は、家族の胸の中、想い出の中にある。

だけど、肉体の存在が消えてしまうと、そこに残ったのは「人が生きることの儚さ」だけ。

その儚さを感じた時、私は思いました。

98年という約1世紀を生き抜いても、死んでしまえば残るものが「儚さ」ならば、自分に正直に、出来るだけ悔いがないように生きよう。
恥ずかしいとか、失敗するとか、人の目とかそんなものに縛られず、自分が心の底から生きたいと思う人生を生きようと。

祖父の祭壇を見ながら、なぜか「自分とか、ないから」の本の中で心に残ったフレーズを胸の中で反芻していました。

「すべては、フィクションである」

上手く言葉で説明できないけれど、祖父の旅立ちに触れて、祖母の教えに加え、また一つ生き方の指針のようなものが見えた気がしています。

まとめ

今、祖父母は最後まで「生きる」ということを教えてくれたように感じています。

人によって生き方は違います。

だけど、「生と死」が “背中合わせ” であることは誰もが同じです。

だからこそ、私は今日も「今日」という一日を大切に、丁寧に、味わって過ごしたいと心から思えるようになりました。

memento mori(メメント・モリ)=死を想え

あなたは自分が思い描く生き方が出来ていますか?

私は祖父母の死をきっかけに、自分の生き方をもう一度見直そうと動き出しています。

いつか来る「死」の瞬間に幸せだったと心から思えるように。


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