きっと、発達障害の子を育てている親なら、一度は立ち止まって考えたことがあるんじゃないでしょうか。「普通」って、いったい何なんだろう?って。
私もそうでした。
天ちゃん(わが家の自閉スペクトラム症の長男)が診断を受けたとき、私の頭の中に浮かんだのは、
「何歳で何ができるのが“普通”なんだろう?」という疑問。
早すぎても「ちょっと変わってるね」、遅れていても「大丈夫かな」って言われる。
結局、どこがちょうどいいのか分からない。じゃあ“普通”ってどこにあるの…?
そんなことを考えていたら、自分自身も診断を受けることになって、さらにこの「普通」の迷路に迷い込みました。
「私のどこが“普通”じゃないんだろう?」 「そもそも“普通”って誰が決めるの?」
…そして、たどり着いたのはこんな考えでした。
「普通」って、ふわふわしてる
辞書で調べてみると、「普通」とは——
特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。(goo辞書より)
うーん、なるほど。
だけど、これを読んでも「じゃあ、うちの天ちゃんは“変わってる”のか?」ってなる。
でもね、結婚して夫と暮らし始めた頃のことを思い出すと…ふと気づいたことがありました。
例えば、
- 洗濯物は朝派(私の普通)
- 夕ご飯の後にはデザートの果物が必ず必要(夫の普通)
- 金銭管理の仕方
そんなささいなことでケンカになることが多かったんです(笑)。
原因は、「私の普通」と「夫の普通」が違っていたから。
つまり、「普通」って、人の数だけあるんだってこと。
それぞれの価値観や習慣がミックスされた「自分だけの普通」が、きっとあるんです。
他の子と比べないって、難しいけど大事
発達障害のある子どもは、よく「普通とは違う」って言われます。
だけど、「他の子と比べる」のをやめてみたら、少しだけ心が軽くなりました。
ある日観たドキュメンタリー番組で、療育の先生が言っていたんです。
「他の子と比べるんじゃなくて、“過去のその子”と比べてあげてください」
この言葉が、私の心にストンと落ちました。
確かに、天ちゃんは時間をかけて、ゆっくり、でも着実に成長してきた。
昨日の天ちゃんより、今日の天ちゃんができること。
それが大事なんだって気づいたんです。
もちろん、学校の参観日なんかに行くと、つい他の子たちと比べて落ち込んじゃう日もあります。
でも、そんなときは思い出すようにしています。
「天ちゃんは、天ちゃんなりに毎日がんばっている」
その頑張りに気づいて、認めてあげることが、私にできる一番大切なこと。
そして、そうやって“違い”を認められるようになった自分自身も、少しずつ成長している気がします。
みんな違って、みんないい
人と比べるとき、何気なく口にする「普通」という言葉。
でも本当は、それぞれの「普通」があって、それを認め合えることが「多様性」ってことなんじゃないかなと思うのです。
天ちゃんを育てているからこそ、私は彼に「みんな違って、みんないい」ということを伝えたいと思っています。
得意なこと、苦手なこと、誰にだってある。 だからこそ、補い合って、助け合える。
「普通」って言葉に振り回されず、自分の「普通」を大事にして、自分らしく生きる。
そんな社会になっていくといいなって、心から思います。
コメント