こんにちは、ねこやまです。
この10月で、私が就労継続支援B型事業所の支援員として働き始めてまる3年、4年目がスタートしました。
今まで転職の多い私だったので、4年目を迎えるというのは感慨深いものがあります。
まる3年支援員として働いて、気がついたことがあります。
それはーー
私が出会ってきた障害のある方々は、いい意味で“あるがまま”で生きている方が多くて素敵だなという印象です。
そんな彼らのそばにいると、“私も私でいいんだ”と自己受容できたように感じるんです。
今回は、支援員として働くことで、私が自己受容できた話を綴ってみます。
支援員として働くようになるまで
私が支援員として働く前、社会人になってから色んな仕事を経験してきました。
そんな私の人生が変わり始めたのは、長男・天ちゃんが生まれたことがターニングポイントでした。
天ちゃんが自閉症との診断を受けたのは5歳。
その時、自分が過去に言われた発達障害疑いを解明しようと思ったのがきっかけで検査を受けました。
その結果判明したのが、軽度ADHDということでした。
今まで普通に会社勤めしてきたけれど、実は周りに迷惑掛けてたのかも?と不安に思い、1年ほど就労継続支援A型で利用者として働きました。
A型で利用者として働いている時、支援員さんを見ていて、その仕事に興味を持ったのがきっかけで、A型事業所を退所して転職。
それで出会ったのが、現在働く就労継続支援B型事業所です。
4年前に支援員としての仕事をスタートしました。
今の事業所での支援員という仕事に惹かれたのは、いくつか理由があります。
*障害児を育てていることに理解があると感じたこと
*私自身の障害に対して理解があること
*勤務時間や土日休みが条件に合うこと
*障害児育児の悩みを相談できること
その時から、小さなB型事業所で、大変なこともあるけれど、障害のある方々と楽しく和気あいあいと働くことが出来ています。
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利用者さんを見ていて気づいた”あるがまま”のよさ
どんな仕事に就いてもそうですが、私も支援員の仕事を始めて1年目は、仕事に慣れるのに必死な毎日でした。
2年目から段々と余裕が持てるようになり、周りのことが少しずつ見えるようになってきました。
まる3年経つ頃のある日、ふと気がついたんです。
“あれ!?私はいつの間にか自分を出して働けるようになってるな”と。
でも、それは何でだろう?今までの他の仕事と何が違うんだろう?と疑問に思いました。
その答えは、仕事中つまり利用者さんの支援中に降ってきました。
それは、利用者さんがいい意味で“あるがまま”でいるということでした。
もちろん、利用者さんの全員が、障害を持つ全ての方が“あるがまま”ではないと思います。
それに、障害はあっても人それぞれに周囲との関わり方や社会のルールを守ることは意識されている方がほとんどです。
ただ、私が出会った障害のある方は、我が家の天ちゃんも含め、他人の目や誰かの評価、プライドなんて気にしないで生きているなって、それって素敵だなって感じたんです。
知的障害や発達障害だったりして、気にしようにも出来ないってこともあるんですが、それはそれで悪いことばかりでもないのかなって思ったんですよね。
それに気がついた時、「私は私でいいんだ」と、支援員として働くうちに「自己受容」出来ていたのだと気が付き、胸が少し温かくなりました。
私の中で起きた変化
この“あるがまま”という言葉を思う時、私の頭の中に自然と流れて始める曲があります。
それは、私がもう30年以上推しているMr.childrenの『名もなき詩』です。
この曲は230万枚を売り上げた大ヒット曲。
それだけ、共感した人が多かったということではないかと思います。
その歌詞の中に“あるがまま”という言葉が出てきます。
だから、私はこの曲を口ずさんでしまったのですが、口ずさんでみて気が付きました。
作詞した桜井さんの歌詞の言葉の深さが改めて胸に響いたんです。
“自分らしさの檻”という言葉。
実は、この言葉って、“あるがまま”の対極の言葉なんだなって。
よく“自分らしく”と言うけれど、実は“自分らしさ”って他人の目(視点)が入ってるんだなって思ったんです。
でも、“あるがまま”は違います。他人の目は関係なく「自分そのまま」なんですよね。
だから桜井さんは、誰もが“あるがまま”で本当は生きたいのに、「自分らしさの檻」つまり誰か(自分を含め)の考える自分に縛られてもがいているのではないか?ということを歌詞に込めたのかも?と感じたんです。
やっぱり桜井さんは凄い。
改めて私にとって「神」だなと思いました(笑)。
それを踏まえて、いい意味で“あるがまま”の利用者さんを見ていて、“自分らしく”ではなく、“あるがまま”で生きられるって素敵だなと思うと同時に、私も出来るだけ“あるがまま”で生きていきたいなと思いました。
思い返せば、今までの仕事では、発達障害のある人あるあるで、働く時に例えるならガチガチに鎧で身を固めていたんですよね。
変な人と思われないように…。
使えない人と思われないように…。
失敗しないように…。
怒られないように…。
しっかりしないと…。
だから帰宅すると、どっと疲れが押し寄せる。
支援員の仕事も最初はやっぱりガチガチの鎧で身を固めていました。
でも支援員をやっていくうちに、色んなことで利用者さんや一緒に働く仲間と大笑いしたり、失敗をして謝ったり。
そうしているうちに、だんだん利用者さんの失敗を許し、私も利用者さんや仲間に失敗を許してもらう。
そんな職場環境があって、「みんな違ってみんないい」、「私は私でいいんだ」と「自己受容」出来るようになっていったように思います。
事業所の雰囲気も大きな要素
前章の最後にもお話したように、私が自己受容出来たのは、「職場環境」にも恵まれたのだと思います。
軽度だけど、私にADHDがあることを一緒に働く仲間たちは理解してくれています。
誰にでも失敗やミスはある。
それをお互いさまで助け合っていこうという雰囲気が今の職場にはあるんです。
だから、社長も私が出張先で自分の貴重品入りのリュックを忘れてきても、笑いながら「コレは大変!仕方ないなぁ〜」と再度、私を助手席に乗せて車を走らせてくださいました。
▶私が貴重品入りのリュックを忘れた社長との珍道中のお話はこちら
【ADHDあるある】貴重品入りのリュックをお店に忘れた話|社長との珍道中
この大きな失敗で社長や他の仲間に迷惑をかけた一件もあって、私はガチガチの鎧を少しずつ脱げるようになった気がします。
今でも、完全には鎧が脱げないけれど、これは特性の問題もあるし、社会人としてのルールやマナーの問題、周囲との関わりで必要なこともあるので、限界があるよねと思っています。
もちろん、障害者支援の仕事をしているすべての人が同じように感じたり、気づきを得ることが出来るとは思っていません。
私はたまたま今の職場に巡り合いました。
自分の体調管理や特性とも向き合いながら、あまり無理せず働ける
職場に恵まれたことに感謝ですね。
まとめ
今回は、就労継続支援B型の支援員として働いて4年目に突入し、軽度ADHDの私が支援員として働く中で感じた自分の変化と気づきについてお話してみました。
こうして振り返ってみると、“あるがまま”で生きるって、私が若い頃から望んできたことのような気がします。
若い頃から数え切れないほど聞いてきた『名もなき詩』の歌詞をこの歳になって再認識する日が来るとは、思ってもみませんでした。
「自分らしく」もいいけれど、自分らしくはどこか他人の希望や他人の目を気にする自分の意識が入っている気がします。
飾らない自分・等身大の自分=“あるがまま”
を私は目指したいなって思います。
飾らない自分に近づけたのは、私を取り巻く人や環境、そして、年齢に象徴される時間の積み重ねと経験のおかげかもしれません。
若い頃は、もっと暗中模索して苦しかったな〜って思うから。
この記事を最後まで読んでくださったあなたも、飾らない自分を大事にしてもらえると嬉しいです。
そして、こんな私ですが、今後もご贔屓にして頂けたら幸いです(笑)
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